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師走です。塾長です。
寒くなってきましたが皆様いかがお過ごしでしょうか。


今夏、愛知は津島の木村義信商店の木村のり子おばあちゃんにお話しを聞かせて頂きました。
本当にありがたかった。

有り難う御座います。

作業場の見学、道具/機械の説明、雪駄表(畳表)の編み方、コツ、現物の雪駄/草履/下駄表、当時の時代背景から人生訓まで。
涙が出そうなくらい感極まってしまったところもあった筆者ですが、本ブログに少しづつ載せていこうと思います。
物語と銘打っていますが実録です。


それでは始まりです。



〜愛知県津島市〜雪駄製造・木村義信商店物語〜



序章


生まれて初めて津島駅に立った。
雪駄塾 塾長

元来方向音痴の私は携帯マップがあってもよく分からず、地元の方々に聞きながらも
右往左往していた。

記憶を頼りにガラス張りの古い建物を探したがなかなか見つからず、
たまたま通りかかった工事現場のおっちゃんに聞いたら住宅地図を持っていたので
それを二人で覗き込みながら



「今ここだから、、お兄さん、2ブロック先の右側!真っ直ぐ行けばあるよ!」

「あ!そうなんですね!ありがとうございます!あとお兄さんって言われて嬉しいでっす!」


「俺から見たらお兄さんだよ!はっはっは!」




雪駄塾草創期から想いを馳せ続けていた木村義信商店にあと少しで着くと分かった私は、
周りの景色をみながらゆっくりと歩いて行ったー。


すぐに、まだ遠くからだが何となくそれっぽい建物が見えた。

視点はそこだけを注視し足早になっていく。




あれだ!本で見たガラス張りの古い木の建物だ!



これだ!この建物だ!




ワクワクしながら昔ここで雪駄を作っていたのかとガラス越しに作業場を覗き込む。

少しの間だがしっかり見たあと、玄関を探し廻りこんだ。居るか居ないか分からないが大きく息を吸い込んでから、
とにかく呼び鈴を鳴らしてみた。
ピンポーン




「は〜い。」




「!!、、東京から来た塾長と言う者ですが、雪駄の研究をしていましてお話しをお聞きできればと!」


ガラガラ…


「どうぞどうぞお上り下さい。」





・・・まるで俺が来るのを待っていたかの様なあまりにもスムーズな対応に戸惑いながらも、
私は深くお辞儀をし、靴をきちんと端に揃えて応接間に上がらせて頂いた。


続く…
2018/12/12記

2019/02/08記


「良く来たわねぇ、暑かったでしょう。今お茶持ってくるからちょっと待ってて下さいね。」








一人ソファに座って待っていたのだが、キョロキョロ色んな所を見てしまう。

(あ、雑誌で見た木村義信さん(木村輝夫)さんだ。)

壁には木村さんの写真が飾ってあった。

奥の部屋には達磨大師の絵が飾ってあるのが見えた。

今から12年前、木村輝夫さんとお電話で話をさせて頂き、雪駄を作っている所を見学させて下さいと頼んだ。
輝夫さんは二つ返事で

「( ^ω^ )良いですよ。」

と言ってくれた。

だけど、私のモタモタしている性格からタイミングを逃してしまい、終ぞやお会いする事が出来なかった。

お線香をあげさせてもらおうと思った・・。


そうこうしていると


「はーい、どうぞー(^.^)」

「ありがとうございます。」

冷たいお茶を少し頂いた私は、
(本当は一気に飲みたかったけど。)




「あの、お線香をあげさせて下さい。」

「ええ、勿論(๑・̑◡・̑๑)」


仏間に案内された私は、達磨大師が睨んでいる中
精一杯の気持ちでお仏壇の前に、座布団を外し、正座させてもらった。


続く。
2019/02/08記

2019/03/22記

チーン・・・



両手で拝ませていただき、心の中でお念仏を唱えた私はやっとここにこれたと少しほっとした。

2019/03/22記

2019/05/28記
応接間に戻った私はのり子氏から沢山のお話を聞かせて頂いた。

のり子氏「最初は表作りだけだったけど、表だけだと買い叩かれて利益が出ない。だから雪駄作りまでするようになったの。最初、大阪の問屋さんに商談を持ち込むけど全然相手にしてもらえなくて困ったわ。何回も頭を下げて行く内にようやく認められて扱ってくれたの。」

塾「そうなんですね。僕は雪踏(雪駄)を作っているのですが、正直申しまして、表を作ってくれる方々の工賃が安すぎると思います。こんなに工程があって時間のかかる雪駄表が一足分数千円にしかならない。でも雪駄になると何万円にもなる。」

「あなたも今から誰かの下で働いていてもたかが知れているわよ。一生こき使われて終わってしまうよ。世の中には良い人ばかりではないの。ちゃんと起業しなさい。自分で会社をやってちゃんと稼ぎなさい。」

「・・・はぃ。」
2019/05/28〜2019/05/29記

2019/06/24記

木村輝夫さんは学校の先生をされていた。でも先生をやめて家業の木村義信商店を嗣いだ。
晩年には保護司もされていて、少年の育成にも心血を注いだ。

やはり、教師をされていただけあって雪駄表作りの見学は快く引き受けていたようだ。
何より、私がお電話で見学させて欲しいと言ったら二つ返事で「良いですよ」。と、応えてくれたのがそれを物語っている。

飾られた写真の輝夫さんを見ると、「しっかりやれよ。」
と、言われているようで気が気で無かった。

木村輝夫氏
2019/06/24記

2019/08/26記
・・・そもそもの話になってしまいますが、
筆者は雪踏師として雪駄を作る前に、雪駄の調査/研究から入った。
自分の足でお店を探し廻り、お話しをお聞かせ頂いたものを雪駄塾に載せていった。
今、雪駄を製作していますが、毎回ギリギリの所を突き詰めて作ってしまう為、時間がかかってしまう。
ある程度割り切って作れば早くできるのは分かっているのですが、、、。

納期が大幅に遅れる事が多く、雪駄以外の仕事もしっかりしなければならない。

自らを律する事がいかに難しいか。

今が、一生をかける仕事のターニングポイントだと思う。

もっと頑張らないと!
2019/08/26記

2019/09/11記

・・・私の話しはこの辺にしておいて、応接間ではさまざまな雪駄の本が置いてあった。
全て木村輝夫さんが出ている本で、愛知県津島の教育関連の本を頂いた。
他の本は、写真を撮らせて頂いた。

雪駄塾草創期、今から14年くらい前だろうか。
雪駄関連本は国会図書館まで行って片っ端から探した。
コピー(複写)も2万円分もした。
ここだけの話だが、デジカメで本の写真を撮ったりもした。
当時はお金が無く、苦肉の策だった。

複写代も4年後に全額一括でお支払い出来た。

、、、と、まぁ、その国会図書館で木村輝夫さんが載っている本を読んで木村義信商店を知ったのだった。
2019/09/11記
2019/10/18記
のり子おばあちゃんの話を聞きながら、二人で雪駄製造していた作業場に歩いて行った。

ハィ!!

いきなりですが、これが木村義信商店製の雪駄(雪踏)!


反りが凄い。後二雪駄





↓こちらは正装用の雪駄一の三雪駄。

「好きなの持って行きなさい(^ ^)」と言ってくれたので
資料にさせて頂きたかったのもあり、あえて色が違うのを選ばせて頂きましたm(_ _)m
ありがとうございますm(_ _)m

木村義信商店製の雪駄は表が肉厚なのが特徴だ。






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、、、後二の雪駄は見た瞬間かなり驚いたのを覚えている。

鎌倉時代(戦国時代)の刀の様な豪胆なつくりの豪壮な反りの雪駄だ!


2019/10/18記

2020.6.23記
話を元に戻そう。

とうとう、初めて雪駄作りをしていた「現場」を見れる。
ゆっくり歩くのり子おばあちゃんの後ろを無言でついていった。


ガラガラ・・






どうぞ

































2020.6.23記

2020.8.31記

(おおお!)

「凄い!」

そう発しただけで、食い入る様に作業場を見回した。

床には見学者の為か、雪駄表が形になって行く順番で置いてある。

奥には無造作に重ね上げられた整理型が沢山見えた。絶妙な丸みを帯びた整理型は樫の木を彫って作ってある。

本でしか見た事のなかった現場を目の当たりにした私は、質問事項が沢山出てきた。



「これがプレス機ですよね!?」

「そう。昔は万力で手でプレスしたけど、この機械式のプレス機になって一度にたくさんプレス出来るようになったの」

「凄いですね。。これは圧力計ですか?」

「そうね。このプレスの機械も手作りなのよ」


「手作り!」






この現場で最盛期、日本の雪駄生産の7割を占めていたのか・・・。




2020.8.31記
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[Re: 亡くなられていたのですね]
お便りありがとうございますm(_ _)m

私しか見れない設定になっておりますので、宜しければメールアドレスなどをお教え頂けると幸いです。塾長 拝
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雪駄塾 塾長

Author:雪駄塾 塾長
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phone:050-5435-1973

◇雪駄 べたがね 補修部品
◇花緒一覧 特注製作等
◇過去に製作した雪駄
◇雪踏の語源~雪踏と雪駄~

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