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我が師


その人に出会うまでの自分は、何をやっても中途半端で、
すぐに「やっぱやめた」と言って投げ出してしまう癖がついていました。
好奇心旺盛なんだけど、現代の若者にありがちな熱しやすく冷めやすい。
向上心はあるけど壁にぶつかると、逃げてしまう。

お礼とその他諸々にも書きましたが、悪友たちがやれヴィトンだプラダだ、グッチだと
ブランド物を身にまとうのを見て、カッコイイなぁ・・・と思う反面、羨ましくて、悔しくて。
なんかイラついてたんです。
だって当時は自分にはお金がなくて買えなかったから。

で、負けず嫌いな性分は生まれた時からで、
その悪友が履いてるヴィトンの7万円もするサンダルに対抗すべく
何かこう渋い感じので何かないかなと・・・。

そしたらふと思いだしたんです。


ガキの頃、下駄屋でライトアップされた神々しいまでのビニール雪駄の事を。


その頃小学4~5年くらいで、下駄を買いに行ったんだけど、
買ってもらった後に、たまたまその雪駄が目にとまって一瞬で心を奪われた。
すぐ母にねだったのですが、

「あれはヤクザが履くものだからダメ!」

と一蹴されてしまい、

ほんの少し粘ったけどあきらめました。
当時はそこまで思い入れもなかったし。
ともあれ、それが初めて雪駄と出会った瞬間でした。

その約8年後の18の時(1998年)、竹皮表の本物の雪駄を手に入れました。
鼻緒は本印伝の菱菊柄でした。
今でも覚えています。

当時も本物の雪駄なんて誰も履いていなかった。
その雪駄は、訳あってすぐ手から離れてしまったのですが、それが初めて雪駄を履いた時でした。

話を元にもどします。

その悪友たちに対抗すべく、きっとあるであろうやたら高い雪駄を探しました。
面白いことに、方向は違っても本質は同じなんですね。
高ければ偉いみたいな。

ネットで出てくるのはほとんどが3万円くらいの雪駄で、
これじゃ対抗できないと思っていたら、なにか雰囲気が違う雪駄の写真が載ってるHPを発見して、
その上には全部漢字で名前みたいなのがダーッと書いてある。
そして、どこを見ても値段が書いてない。

「なんか訳分からんけどこれは凄そうだ!」と、直感しました。


すぐにお店に電話して、

「もしもし」



「はい」
 
「ホームページに載ってる雪駄ありますか?」

すると、




「あります。」


とだけ、言うじゃないですか。

その凄そうな写真、漢字だけの名前、加えて値段が書いてない事、それらによる期待と不安から、おそるおそる



「おいくらですか?」

と聞いたら、


「店に来てください。」


の一言。

もう気になってしまいその日に見に行きました。

値段聞いてびっくり。



「7万5000円」



当時の私には絶対買えない値段で、どうやって手に入れるか考えました。
      
           
・・・誕生日が近かったんで友人たちにおねだりして、
4人がお金出し合って「誕生日プレゼント」に買ってもらう。

我ながら名案です。

そしてその日が遂に現実になりました。



それが、本南部地長表なのです。



本当に嬉しかったです。
今でもその友人たちに感謝しています。
実はまだ履いてないんです。
もったいなくて。

他には6万円の雪駄もありましたが、その7万5000円の雪駄をプレゼントされ、
意気揚々、さあ!店を出よう!としたその瞬間、

突如、主人の口から6万の雪駄について、


「この反りが江戸前の証なんだよ!」
「足の大きい人が幅が狭いの履くのが粋なんだよ!」



「え!?何?反りって?幅が狭い?江戸前?」

「粋??」


意味が何にも分からない。でも凄い事言ってるのはわかりました。

その6万の雪駄は、幅狭と言い、縦の長さ八寸に対し横幅を通常より三分狭くし三寸になってるという代物。
(・・・それ、今でも見たことあるのはその時のだけで東京の雪駄で地長表の幅狭だったんです)

で、よく見れば確かに反りも他のより凄い。

なんかさっき買ってもらったばっかの雪駄が急に不安になってきて・・・勇気を出して

「俺のはどこの雪駄なんですか?」

「大阪。」


「あー。」



・・・失敗したと思いました。

いや、実は大阪大好きなんですよ。ただワイは東京の人間やから、
やっぱし地元のものの方がええんとちゃうのん?気分的にー。


こんな感じで、

「日本の伝統履物って何だろう?誰が作ってるのこれ?凄いな」

と、雪駄に神秘性を感じ、一発ではまってしまいました。

・・・その江戸前の粋な雪駄を見た直後から、そのお店のHPを隅々まで見まくって、
画像にカーソルが合ったままの状態だと、台どこのどこどこ、鼻緒どこのどこどこってピロッってテロップみたいなのが
出てくるのに気付いたんです。

そのテロップの名前と地名だけを頼りに何とか探し当てて初めて行ったのが鼻緒屋さんで、
地長表を買ったお店と全く同じ鼻緒があったのです。すぐに買いました。

これも本当に嬉しかったです。

後で知ったのですが、その花緒は自分が日本一と思ってる金治さんて鼻緒職人さんが作ったもので、
幅はちょっと太い寸五の本印伝江戸褄で挿げないでまだ持ってます。


それで色々また地長表のご主人に鼻緒について聞くと、「細い方が粋」と。

で、またその鼻緒問屋さんに行くと、極細緒があったので買い占めてしまいました。
これも後で知るのですが、左右の足の甲で花緒の横緒の柄がつながる「履き合わせ」になっている花緒も沢山ありました。
履き合わせと言う言葉や仕様自体知らないプロの方も多くいた、かなり珍しい作りだったんです。

そこから、この神秘的な世界にもっとのめりこんでいくのです。

18の時、初めて本物の雪駄を手に入れたと書きましたけど、当時それを履いて、
たまたま通りかかった浅草の着物屋さんで雪駄を見るんですけど値札には6万5千円ってあって、
店の人に

「なんでこんな高いの?」って聞いたら、

「これは籐表って言って、もう編む人がいないから高いんだよ。あるだけ。」


と言ってた事を思い出し籐表も探しました。すぐに籐表雪駄を発見して買いました。
でも、今思うとそれが酷くて。

店を出てすぐ先述の鼻緒問屋さんに向かったんですけど、社長が挿げるときに

「穴の位置が合ってないなぁ」

って、鼻緒が挿がらなかったらどうしよう・・・。

とドキドキしながら様子を見ていました。

社長が「う~~~~ん!」と唸っててかなり力を入れてましたし。

結局、挿がったのですが籐表の後穴の位置と裏革の穴が合っていないから表が盛り上がってしまい
なんとか抑え込もうと、トンカチでばんばん叩いてる。私は、素人がゆえに大丈夫かなぁ・・と思いました。
それで、その籐表は中芯に経木も入っていなく、自分が買うとき居合わせたお客さんが、
作りを確かめる為か、手でギュ~~ッって丸めたのですが、何の抵抗もなく丸まってしまった。
その一瞬の動作の直後、驚いた表情が、漫画の描写レベルばりにかなりオーバーだったから熱烈に覚えてています。

後に分解して分かったんだけど、なるほど、そう言う事だったのかと。

で、その雪駄を履いていると籐の表面が所々黒ずんでくる。
これも後で分かったのですが光沢を出すためにクリアラッカーを塗って仕上げていたのです。

でも安かった。当時で2万円だった。
その頃は流通価格6万円だったので雪駄が好きになってしまった私は、雪駄研究と趣味も兼ねてお金の捻出に
この籐表雪駄を売りに出そうと考えたのです。



ー誰もやってないカッコいいのを出すー



そして、勉強のため履物屋巡りを初めました。

ある日、浅草の履物屋にぶらりと入って

「何か珍しいのないですか?」と聞いたら

「こんなのあるよ」って雪駄を見せてもらったのですが、

かかとにはなんと!

チャラガネ!※筆者の造語で本来はベタガネと言う。語源は雪駄チャラチャラから取った。

が付いてたんです!


なんだこれ!!!




それまで尻金は馬蹄とテクタしか見たことがなかったから、その存在感に圧倒されました。



さらに、聞いてないのに

「音もデカイよー。」

って。



それを教えてくれたのが辻屋の大将だったんです。


これは目立つ!と直感しました。だって雪駄って音が命じゃないですか。



人と違うことして目立ちたいから、まさにうってつけでした。
それも日本のものだし。



当時は誰も履物の事を詳しく解説している所が無くて、ネットはおろか文献でやっと散見できるレベル。
ベタガネなんて本気で存在すら風前の灯火だったし、地長表?本南部?革芯?極細緒?何それ?って具合でした。
片っ端から電話して、自分の足で聞き廻った。雪駄の事なんか誰もやってなくて、じゃあ俺やろう。大好きだから。
だから雪駄塾の冠に魁って付けた。あと話題性と言うか、面白い事が大好きだから魁!!男塾的に魁!!雪駄塾。


それで探していると、言問橋のたもとのお店でたまたまベタガネを発見しました。
あの伝説のベタガネがごっそりある!

全部出してください!と言って買い占めてしまった。

籐表もそうですけど、

「絶対売れる!こんなカッコイイのない!」

と確信しました。


そして平成16年「雪駄研究費用捻出のために~」と添え書きして、
こんな雪駄だったら絶対カッコいい!って想いを形にした、必死に探し回って勉強して作った籐表雪駄を某サイトに出品したら
これが飛ぶように売れました。


江戸時代発祥の当時希少なベタガネに、本印伝極細緒や江戸褄鼻緒、コバは鏡面磨きで当時珍しかった籐表雪駄。


本当に嬉しかったです。
売れる事は認めてもらう事だから。


出品してた籐表雪駄の籐表はインドネシア製なのですが、
その頃は仙台の方が作ってる日本製の物と二種類しかなかったです。
※クリアラッカーを塗っていたのは仙台の方なのですが、一本一本の轍の縁にRがしっかり出てて
 ラッカー塗りを除けば、昔の籐表の作り方を踏襲し、完全に形を再現してて、これは本当に凄い事だと思います。


・・と言う訳で、
こうやって雪駄人生を振り返ってみると、多くの人達から大きな愛、教え、影響をもらっている事に気付きました。
その全ての人たちに感謝しています。
本当に有り難う御座いますm(_ _)m
これからも雪駄道に精進致しますので、あたたかい、時には厳しい目で見守ってやってください。



最後になりますが、
私には師匠と呼べる人が何人も居ます。




しかし、最初の最初に雪駄の魅力を伝えてくれ、この世界に導いてくれたのはやはりこの人です。


吉祥寺・甲州屋/幡野弘師匠

我が師、吉祥寺の履物屋さん「甲州屋」のご主人、幡野弘さんです。
今はもう、お店をたたまれてしまいましたが、きっと魁!!雪駄塾を見てくれてると思ってます。

写真は閉店前日の平成十八年九月四日の時のもの。
前日とあって商品がほとんど売れて棚の中は空です。

上の写真のお客さんの草履の鼻緒を調整している。



平成十七年時の甲州屋の店内。

吉祥寺経済新聞のリンク。
昭和8年開業の履物店「甲州屋」が閉店

甲州屋閉店の時、我が師の履物業界に対しての惜別の想い。





平成二十三年十二月三日

魁!!雪駄塾 塾長 拝



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雪駄塾 塾長

Author:雪駄塾 塾長
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phone:050-5435-1973

◇販売一覧 雪駄 べたがね 補修部品
◇花緒一覧~特注なども
◇過去に製作した雪駄
◇雪踏の語源~雪踏と雪駄~

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