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・・・・ふと思ったのだが、
当時の籐表は幾らくらいで一般消費者に流通していたのだろうか?
当時と言っても年代は様々なので細かく分ける必要がある。

今現在は、花緒付で50000円~と言ったところ。
30000円台は皆無、40000円台前半も皆無、40000円台後半は極僅かだがある。
しかし、消費税・送料等入れると、やはり軽く50000円を越す。

そんな話は置いといて

籐表は江戸時代末期から存在した(参考文献:はきもの変遷史)2013.11.26画像追加&加筆
この籐表は、江戸末期の文化、文政頃、泉州堺の住人、土屋一楽と言う根付師が
籐茎を細く削って割籐し、太い割籐に組み合わせて上品なる根付け造ったのが最初である。
長い間流行した南部表に飽きた人々は競って籐表を用いたが、大正の末頃から
暫時姿を消して、現在ではごく一部の方面にその面影を残している。

とある。ちなみにこのはきもの変遷史が書かれたのは、昭和25年12月25日である。

その一楽が考案した、籐表(別名:一楽表)がこれだ↓
現在の籐表の原型一楽表(江戸時代末期)1
現在の籐表の原型一楽表(江戸時代末期)2
パナマ表に近い編み方である。

で、現在の籐表の形はこの一楽表の後にできたと考えられるが、
現在の形の籐表も江戸時代末期(現在のものとほぼ同じ形をしていて、編み方は一緒)からあった。

はきもの博物館にて、市田京子氏から写真の写真を撮らせて頂いたのだが
大元の持ち主の許可を得ていないため、掲載不可である。
いずれ、大元に行って、撮影をし、載せれればなと思っている。


樋口一葉とその妹、邦子が内職で籐表を編んでいたのだが
その写真がカラーで掲載されている

「樋口一葉と歩く明治・東京 /小学館」と言う本によると

流行の全盛は明治40年頃で、第二次世界大戦後
東南アジアから籐が入らなくなってしまった。
籐表が衰退していった理由の一つに、この事が挙げられる。2013.11.26画像追加&加筆

そして、籐表の工賃は大正初期には50銭~70銭で、出来の良くないものでも
18銭~20銭にはなったというから、今の貨幣価値に換算すると
70銭で約2000円~3000円と言ったところ。
割の良い内職と言うのもうなづける。

やはり畳表と同様に籐表にも等級(ランク)があり、出来の良いものは高級品だった。

ちなみに年代別貨幣価値一覧

籐表を編む工賃とは別で、問屋が卸す価格がある。

昭和3年頃の籐表卸価格

七本籐表だが、七本まで行くと編みの上手い人しかやらせてくれなく、品質も上品〜飛切の3種。十足で10円〜だから今の貨幣価値だと籐表の表のみで一足3000円以上の卸値。畳表もそうですが綺麗な物は高い。

そこから草履や下駄表、雪駄に仕立てると3倍くらいになるはずなので10000円〜15000円で卸値。

更に小売となると推して知るべし。

一方子供でも簡単に編める三本とか五本は等外、並品のランクが存在し、要は編みが下手とか色味が合わないとか、後はここには記載していないが(いずれ記載予定)ザクと言って節が多い籐表でここら辺は安かった。

つまり、籐表は高級品から実用履きレベルの安い物までランクがあった。

写真は15年程前、長老から頂いた大昔の七本1号籐表。赤い判子で①と入っている。編みも綺麗で節も無く色味も均一。


1号でこれだけクオリティが高いのだから、別上とか飛切とかのレベルはどれくらい美しいのだろう。



昔の東京の本郷区菊坂で編んでいて、
もしかしたらあなたの籐表は樋口一葉製かもしれないのだ!

・・・と言ってもざっと100年以上前なのだが・・・。

なぜ100年以上前かと言えば、一葉の日記に
邦子は「当時、蝉表(籐表)職中一の手利に成りたりと風説あり」とある。
この日記が書かれたのは明治24年8月3日だから。

それにしても、一葉の妹、邦子さんは籐表を編む人の中で
一番上手だったみたいだ。
雪駄塾~目次~




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