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                  雪駄(雪踏)
          
↑This is sandals of Japan, and it is called "setta"It is not called "zouri".

雪踏(雪駄)は、千利休が、足に湿気(雪?)を通さずに露地を歩く為に作った履き物だから
「雪を踏む」と書いて雪踏(雪駄、セッタ、setta)と呼ぶのが定説となっている。

が、これも実は諸説紛紛としていて確かではない。
「雪踏をめぐる人びと」という本に、雪踏の創案が誰なのか資料を交え推察してあるので
気になる方はそちらを見てください。

本来ならば「雪踏」と表記するのが筋ですし、字体に華もあると思いますが、
現在は、「雪駄」の表記なので、
魁!!雪駄塾では江戸時代のものを雪踏、それ以降のものを雪駄と表記します。


それではスタートです!



一昔前、雪駄が流行ったが、殆どがビニール張りのものであったと記憶している。

そんなビニール張りの雪駄はさておき、まずは「竹皮表の雪駄」について書いてみた。
雪駄といってもピンキリでなので、「職人技が光る竹皮表の雪駄」と、
巷で最も多く流通している「30000円前後の竹皮表の雪駄」を比べてどれだけ違いがあるのか
画像を交え、解説していく。

おっと、その前に雪駄の各部名称や構造について記しておこう。

 ①鼻緒(花緒)の「前坪(マエツボ)」と言う部分。
  前緒(マエオ)と横緒(ヨコオ)が交わる部分全体を前坪と呼ぶ。また、表の前緒が挿がる部分も前坪と呼ぶ。
 ①´鼻緒の前緒。
 ②鼻緒の「横緒」と言う部分。
 ③表(面)。これは籐で編んだ籐表で、他に竹皮、棕櫚葉、いぐさ等で編んだ表もある。
 ④つま先側。
 ⑤前坪の裏蓋(ウラフタ)。ここに鼻緒の前緒を通し紐を収める。
 ⑥釘。中の芯を止める為、裏革から打ってある。表までは貫通しない。
 ⑦裏革(革底)。江戸時代は馬革底が主流で牛革底は高級品だったが、現在は100%牛革底。
 ⑧切り廻し(キリマワシ)。江戸元禄期、江戸の雪踏師が発明した技法。
  ちなみに縁に色が付いている事を「チャコ」と呼ぶ。
 ⑨釘。中の芯を止める為、裏革から打ってある。表までは貫通しない。
 ⑩後穴の裏蓋。ここに鼻緒の横緒を通し、紐を収める。
 ⑩´後穴。鼻緒の横緒が入る穴。
 ⑪尻金。他には、音金、裏音金、踏金、裏金、鉄金、板金、雪駄金、後金とも呼ぶ。書きは金でも鉄でもどっちでもいい。
  写真は「ベタガネ(チャラガネ)」と呼ばれる形の尻金で、江戸時代に発明された。
また、舌(べろ、べら)みたいだから「べらがね」と呼ぶ人もいる。
  他に「三日月」、三角形の「テクタ(プロテクター、テクター)」、読んで字のごとく「馬蹄」、鉄鋲(丸鉄)と言った形の尻金がある。
ちなみに、テクタは靴のかかとの減り止めに使われるものが、雪駄に流用された。また、中田商店が出している日本軍の兵装を収めた本には、戦時中の日本軍(大日本帝国軍)の長靴、半長靴の(ブーツ)かかとにもテクタが使われていた。テクタは元は靴の減り止めの金具でそれが雪駄に流用されたのが定着し現在は雪駄用になっている。
 ⑫かかと側(尻)。

◇雪駄の側面~重ね~ベタバリ(直付け)~

 ①反り(SORI)。この反りがあるのが江戸前の雪駄の証。
 ②コバ(KOBA)。裏革の裁断側面のこと。
 ③重ね(KASANE)。重ねは総称で、竹皮や棕櫚葉で出来た重ねは「草芯」と呼ばれる。
  写真は籐で巻いてあるから、籐芯、籐巻と呼ぶ。
  一枚しかかかとに重ねが入っていないから、その状態を形容して、後一(ATOICHI)、後一枚などと呼ぶ。
  一番上の表は重ねの枚数に数えない。

この重ねが入った雪駄を「重ね雪駄/かさねせった(KASANE-SETTA)」と総称する。
江戸時代からこの作り、呼び名があり「重雪駄」と表記された。

◇ベタバリ(BETABARI)重ねが入っていない雪駄
↑重ねが入っていない。裏革の上にすぐ表が付いている雪駄を形容して「ベタバリ」と呼ぶ。
 他に呼び方は、ベタ、ベタ付け、芯無し、アンコ抜き等。
 雪駄においては、直付け(地下付け=JIKADSUKE)とも呼び、但し草履はこの限りではない。

ベタバリは重ねが無く薄い為とても履きづらいので一番粋な仕様。
それを、履きこなしてこそ粋な奴さん(YAKKOSAN)だ。

※いかに粋な仕様であっても履きこなせなければ、野暮ったく見えるものだ。

かかと側からの写真。薄い。


ちなみに、江戸時代の雪踏はこの作りが主流で「単雪踏/ひとえせった(HITOE-SETTA)」と呼ばれた。
※単雪踏は粋に履くことを目的に作られた訳ではない。

◇雪駄の内部構造と表

 ①前穴(前坪、前壷)。写真は籐表で最初から鼻緒の前緒を通す為の穴が設けられている。
  畳表(竹皮や棕櫚葉など)は、編目をクジリで狙い、さし開いて前緒を通す。
 ②表。これは籐で編んでいるから、「籐表」と呼ぶ。別名「蝉表」。
 ③後穴。籐表なので、こちらも最初から鼻緒の横緒を通す為の穴が設けられている。
 ④座金。鼻緒の前緒の二本の紐をくくりつけ、かたく結び固定する為の横棒が見える。
 ⑤ボール紙。中芯と総称。表と裏革を合わせると隙間ができる為、中に芯を入れ密着させる。
 ⑥経木。中芯と総称。⑤と材質が違うのは、同様の効果を期待する他、「反りと耐久性」を出すため。
  経木は、昔はブナ材で今は赤松材が使われる。赤松材は割れやすい。
 ⑦裏革。

◇~坪下がり(頭履き)~
坪下がり雪駄2
①坪下がり(ツボサガリ)。前坪(前緒)が極端にかかと側に下がっている事を指す。
 ちょっと爪先をツッカケてかかとを思いっきり出して粋に履く為にあり、とても履きづらい粋な作り。
 坪下がりは、つま先側の外周部先端から前坪を基本的に約1寸6分下げる(約4.8cm)。※1寸=3.03㎝
 写真は2寸(6cm)も下げた筆者製作の坪下がり雪駄でとても履きづらい。
②通常の前坪はココで、つま先側の外周部先端から約1寸3分(約4cm)の所に位置する。

※坪下がりと言う呼び名だが、これは前坪(前緒の挿がる位置)を基点にしているからで、
実際は前坪だけがかかと側に下がるのではなく、横緒も下がる。
つまり、鼻緒全体がかかと側に下がると言う事。

※前坪、後穴の位置は、どんな雪駄でも製作段階で決めるので、鼻緒の挿がる位置はその作りに大きく影響される。

「坪下がり仕様ではない普通の作りの雪駄を坪下がりに挿げる時は、中芯(経木など)をくじりで貫いて強引に坪を下げる事はかなり前から普通にやっていた」(HのNさん談)

ただ、前坪の裏蓋の大きさもあるので限界はある。
(現在は中芯と裏蓋で前坪、後穴の位置を製作段階で決める。)

江戸時代、畳表は、鼻緒は製作段階で挿げ込みであるから雪踏師は最初から好きな坪の位置で挿げれたと推測する。
但し、籐表は表を編む段階で前坪、後穴の位置を決めるので雪踏師もその位置はいじれない。
籐表の坪の位置決めは編み子さんの特権か。

◎頭履き(坪下がり)とは?
坪下がり雪駄のことを「頭履き(カシラバキ)」と言う。
前坪を下げる事により、物理的に履いても隠れない爪先より上の表部分の面積をより多く見せる事になり、
「良い表の雪駄=良い雪駄」である事を簡単に認識させる効果がある。
上記の効果から、下っ端の者に雪駄で格の違いを見せるため、
坪下がりの雪駄は鳶(火消し鳶も)などの頭がよく履いていた。
その事から、この頭履きの呼び名がついた。
「坪下がり」か、「頭履き」の、どちらの呼び名が最初に付いたかは不明である。

◇文献に見える坪下がりの源流
江戸時代の文献:守貞謾稿では、坪下がりの源流が垣間見れる。
麻裏草履の項目の記述を意訳すると、

江戸時代の江戸の鼻緒は横緒が長いのが特徴だが、
それを更に長くし、細い前緒を短く挿げた事を「ツッカケ(突懸)」と言い、
鳶人足、凡賎業、侠客風の人たちがこれを履いた。

とある。
前緒を短く挿げる事で、高さを低くし、つま先がザックリ奥まで入らない「『作りを』ツッカケ』」と言う。
それは物理的に「ツッカケて『履く』」事しかできない。
当時、これを専ら履いていたのは記述の通り、鳶、侠客などの常に粋を意識して行動する人達で、
つまり「粋な履き方」であるのは言うまでもない。
まず履き方の呼び名があって、それを作りの呼び名にも当てはめたのであろう。

今はツッカケは「ツッカケて履く」と言った様に基本的に「粋な履き方」を意味するが、
御存知の通り皆様も大好きな、筆者も行った、今年、富士10万人ライヴを完遂した
孤高の男・TSUYOSHI NAGABUCHIの名曲「東京青春朝焼物語」には、
「ツッカケを履いたまんま~女物の傘を差し~」と言うフレーズが登場する事から、
履物そのものを指すこともある。

ともかく、「粋なツッカケ」の概念は江戸時代からあった。

これが、今の坪下がりの源流であることに疑いの余地はない。

?江戸時代に坪下がりはあったのか?
江戸時代の「ツッカケ」は、上述した守貞謾稿を意訳した記述部に「横緒をさらに長くし」「前緒を短く」とある。

したがって、
かかとまでの距離には限りがある事から、前坪(前緒)の位置を下げれば、横緒の長さは、
鼻緒全体で下がればそのままか、もしくは横緒を挿げる位置が変わっていなければ横緒が短くなるかの二つしかなく、
横緒が長くなる条件は、前坪がつま先側に上がる事しか物理的に存在しない。
しかし、これでは坪上がりだ。
また、ツッカケの呼び名からも、おおよそ坪が上がっていたとは考えられない。
ツッカケて履いている様に見えないからだ。
・・・と、この様に前坪の位置が下がっていない事を証明できる。
単に前緒を短くきっつきつにして足が奥まで入らないようにして突っかけて履いていた。

故に、江戸時代、少なくとも守貞謾稿が書かれていた時代には「坪下がりは存在していない」。

では、いつ頃から坪下がりが出現したのか?・・・今の所、不明である。

※前坪と前緒の違い。

前坪は花緒の前緒が挿がる坪=穴。表に空いている穴=前坪。
前緒は花緒自体の先端の部分。

意味が混同されがちだが、ここでは明確に分けます。


◇表(オモテ/OMOTE)
                                                
1.和装履物において、底(下駄では台)と合わさる前の、単一な状態の足が乗る部品を「表」と総称する。

1.和装履物において、底と表が固定されている前提で、鼻緒が挿げられていて履ける状態、
若しくは鼻緒が挿げられていない「台」の状態で、足が乗る部分を「表」と総称する。

※「表」の基本概念は、固定されていても、手を加えれば底と分離できること。
※固定方法は「手縫い」「鋲止め」「接着」の三つがあり、
素材同士の性質による固定の相性、職人の判断、発注者の意向などにより、
単一、もしくは複合的に選択される。

※呼び名を厳密にしなければ伝わらない時以外は「表」で良い。
今現在の全ての竹皮表は、中国から輸入した支那竹皮が原料。
日本の竹皮は拾う人がいなく、純日本製の竹皮表は製造されていない。
今ある純日本製の竹皮表はデッドストック物です。

表には、素材、色、柄、形状、出来栄え、地域名、成り立ち、またはその組み合わせにより
分類する事ができるので、代表的な呼び名と解説を以下に記す。

「畳表」
竹皮や棕櫚の葉、いぐさ等の天然素材で畳状に編まれた表の総称。

「草表/草物」
主に竹皮や棕櫚の葉、いぐさ等の天然素材の表の総称。

「竹皮表」「棕櫚表」「唐黍表」「藁表」「いぐさ表」「籐表(蝉表)」「パナマ表」
素材そのものを示した呼称。

「柄表」
柄になっている表の総称。
主に竹皮、いぐさで出来ている。

「ゼブラ表(縞表)」
柄そのものを示した呼称。
竹皮で出来ている。

「カラス表」「銀ねず表」
動物に例えて色を示した呼称。
竹皮で出来ている。

「黄平(支那表、支那染、チャン長)」
色と形状を示した呼称。
平はプレスして、平べったいの意。
今は小売店が南部表と呼称している。
中国産の竹皮=支那竹皮で出来ている。
チャン長(チャンナガ)とも呼ばれる。
※チャン=中国人の蔑称(不適切な表現ですが、当時の歴史的観点から当時の呼称も表記させていただきました)。
※長は地長表からとった。
※編んでいるのは日本国内。

「支那染(支那表、黄平、チャン長)」
原料の竹皮の産地名と染めてある事を示した呼称。
支那竹皮で出来ている。
問屋では支那染または支那と呼ぶ。
今は小売店が南部表と呼称している。
※編んでいるのは日本国内。

「蝉表(籐表)」
形状を示した呼称。籐表は蝉の羽に似ているから。
現在、主にインドネシア、シンガポールで製造。
※つい最近まで、仙台のおじいちゃんが編んでいた籐表もあった。
↑2017.7.8追記、2017.6月頃に履物屋さんで見た蝉表(籐表)は、仙台のおじいちゃんが編んでいた型だった。
まだ、ご本人か、編み子さんが編まれているのかは不明だが轍のエッジにRが出ているもの。追記終わり。

昔は茨城県波崎、千葉県銚子、富山県滑川、愛知県名古屋、東京市内が代表的製造元。
原料の籐は、今も昔も東南アジアから輸入。

「南部表」
製造元の地域名を示した名称。
南部藩の武士達が内職として製造していた事による。
日本産の竹皮で出来ていた。
現在では、小売店における支那表の呼称。
その前は、優秀な竹皮表の総称。
さらに昔は、本物の南部表に匹敵する優秀な竹皮表を製造出来るようになった各地の地域名を冠し、
○○南部表と末尾に付けて名称された→そのちょっと後で、棕櫚表の中での優秀品が
棕櫚南部表と言ったように末尾に付された。

※本南部表の当初の名称で、優秀な表の代名詞として素人にも認識されていた。
 高価だが、長い間人気ナンバー1だった。
 本南部地長表、地長表が出現するまでは最上級の表だった。

「支那表(支那染、黄平、チャン長)」
原料の竹皮の産地名を示した名称。
編まれているのは日本国内。
今は小売店が南部表と呼称している。

「本南部表」「山形表(野崎表、三本線)」
製造元地域名を示した名称。
本南部表については、上述の南部表を参照。日本産竹皮製。
山形表は支那竹皮が原料。

「地長表」
最上級の表を意味した呼称。
名前の由来不明だが「地元でとれた長い草」で「地長」と言う一説が有力である。
群馬県高崎、九州の八幡が二大製造元地域だった。
日本産竹皮製で、原料の竹皮はカシロダケ(皮白竹、白竹)のものを主に使用。
カシロダケは福岡県八女郡星野村、愛知県春日井市西山町の
二地域のみに存在するマダケの変種で、
竹皮特有の黒い斑点が殆どなく色が白いのが特徴で、
ほぼ八女産のものが使われる。

「本南部地長表」
最上級の表を意味し、製造元地域名を示した名称。
「地長」部分についての名前の由来不明だが「地元でとれた長い草」で「地長」と言う一説が有力である。
日本産竹皮製で、原料の竹皮はカシロダケ(皮白竹、白竹)のものを主に使用。
カシロダケは福岡県八女郡星野村、愛知県春日井市西山町の
二地域のみに存在するマダケの変種で、
竹皮特有の黒い斑点が殆どなく色が白いのが特徴で、
ほぼ八女産のものが使われる。

「白ムシ表」
色と成り立ちを示した呼称。
ムシが竹を食べて枯らし、竹皮が太陽に当たらず
内部の白い状態のままの竹皮のものが採取され、表に使われた。
日本産竹皮製。
極少流通量から、幻の表とされている。

「雪駄表」「草履表」「下駄表」
各履物の表になる前提で、作っている最中の表、又は単一の部品としての表の状態においての呼称。
例1:草履表作り。
例2:今作っている表は、下駄の表に成ります。
例3:これは雪駄の表です。

履ける状態、もしくは台の状態において、表が各履物の総称を示す。

「K表(新表)」
Kの意味はこれを取り扱っている人の名前の頭文字からとった。
支那竹皮が原料で編みも中国。
野崎表より目が詰んでいて値段も若干高いが、流通量はとても少ない。
2007~2008年ごろに出現した表で、日本初の純中国産の表でもある。
別称の新表の新は「新しく出現」した表だからと、他の問屋さんが名付けて売っている名称。

「野崎表(山形表、三本線)」
筆者が懇意にさせて頂いている、この道50年の大問屋の大番頭さんが、
何かいい名前ないかな?と思い、フッと頭によぎったのが野崎観音だったので、
そこからとった、日頃の善行の賜物による観音様のお導きであり、
それはそれは素晴らしい、とても功徳がある、ありがたい名称。

番頭(校長)、いつもありがとうございます。

※支那竹皮を原料に、製造工程を極限まで省いた竹皮表の中で最廉価品。
しかし、流通量は日本一。

三本線の呼称は、表の形状に、くっきり線が三本入っている事からそう呼ぶ。


「ビニール表(ビニール雪駄、ビニセ)」
ビニールで出来ている表の総称。
☆筆者の雪駄との最初の出会いは、下駄屋で見た神々しいまでの、このビニール雪駄だった。

※雪駄塾トップページの写真は、地元商店街で親子がビニール雪駄で歩く微笑ましい光景に、
偶々遭遇し撮ったもの。筆者はこの親子に、初めて雪駄を見た時の記憶が甦り、
少年と父親の後ろ姿に、幼き頃の自分と父を重ねた。
GOD OF SETTA!
それまでビニール雪駄を馬鹿にしていたが、目が覚めた思いだった。
そもそも私の原点は、電熱球でライトアップされ、神々しいまでの輝きを放っていたビニール雪駄なのだ。

12年前、日本の伝統履物が廃れていくのを見て、悔しい思いをしたから竹皮雪踏に焦点を当てたのだが
「ビニール雪駄だろうが何だろうが、雪駄を履く人がいればそれでいいじゃないか。」と、考える様になった。

今、筆者は普段履きに、白い鼻緒のビニール雪駄(あめ底)を専ら愛用している。
※2017.6.2加筆。

●その他、和装履物の足が乗る部分の呼び名。

「天(テン)」
広義においては「表=天」だが、↓以下の場合において使われる事がほとんど。
下駄の様に、単一の固体で出来ている履物(鼻緒挿げ済み含む)の、足が乗る部分の総称。
草履においては、主に皮革製の足が乗る部分の総称。
草履にパナマ表が乗っかると、パナマ天と言ったりする事も。

「張り(貼り)」
下駄の天の更にその上に、竹、木(経木)などが張ってある事を示す総称。
例:柾張り、胡麻竹張り、厚張り。

●竹皮(筍の皮)

竹皮表には主に真竹のものが使われる。
他に、淡竹、孟宗竹なども。

日本産の竹皮は独特の色、艶、深みがあり、一本一本の繊維が細く、詰まっていて(緻密)、粘りがあり丈夫。
中国産の竹皮は、色が白っぽかったり、染めてしまって黄色っぽい。
※真っ白で雪肌の「白ムシ」と言う、その希少価値ゆえ地長表を超える「価格」の幻の表もあるが、これは別格。

言葉では表現しにくいので画像を見てください。竹皮表の雪駄。

左:75000円(本南部地長表)真中:60000円(地長表)右:30000円(支那表)

左、真中は深みの有る飴色で艶があるのがわかりますか?
左の雪駄は照明の関係で分かりづらいですが、実際は一番艶があります。
左と真中が、日本産の竹皮を使用している雪駄です。

右が中国産の竹皮を原料に日本で編まれている表の雪駄で支那表です。

●日本産竹皮の採取地、畳表を編む地域と地長表

竹皮の採取地、畳表を編む地域は様々だ。
かつては、日本のいたる所で竹皮拾いを日常の糧としていた人たちがいた。
現在は中国の農民が竹皮拾いを担い、日本の伝統工芸を支えている。

廃業された、愛知県津島の雪駄製造元・木村義信商店の二代目当主、木村輝夫氏(故人)によると
今まで扱った中で最高の竹皮は、

「徳島・吉野川沿いや、九州八女産で、強靭な粘りと艶があり美しかった」

と回顧している。
参考文献:週刊金曜日

詳しくは後述するが、「地長表」に使われた竹皮は上記の地域のものです。

・木村義信商店と筆者
筆者は2005年、表の製造過程を見学させて欲しいと、
木村輝夫氏にお電話をさせていただき、氏は二つ返事で快諾してくれた。
しかし、私のモタモタしている性格から時がたち、既に輝夫氏はお亡くなりになられ、
ついぞや、お会いする事が叶わなかった。

ここで、改めて木村輝夫氏のご冥福をお祈りいたします。

合掌

お疲れさまでした。そして、ありがとうございましたm(  )m

●本南部地長表・地長表  ※現在消滅

写真左が、本南部地長表(ホンナンブジナガオモテ、hon-nanbu-jinaga-omote)
写真真ん中が、地長表。

「本南部地長表」と「地長表」は、全ての表の中で、最上級とされる表の呼称。

※筆者は、本南部地長表と地長表を区別する。(表の優秀さは同等)
その理由は、現在は地長表の呼称で一括りにされるが、
後述する、南部表が本南部表と名称変化した理由と経過を元に、
冠に本南部が付かないのは、南部地方以外で編まれた本南部地長表に匹敵する表と考えるからである。

・地長表の価格
日本産の竹皮の中でも最上級のものを使い、特別に細かく編み、色は飴色、艶も耐久性も尋常ではない。
いわゆる地長表の類に入る表でも、さらにランク(ランク別の呼称は無い)があり価格に反映され、
2015.10.2現在、その表を使った雪駄がもしデッドストック物として有れば、
一足で、最低でも80000円、最高で300000円はする。

・高崎南部(地長表)
群馬県高崎で編まれた表は優秀で、高崎南部と呼ばれた。
それが、いつの頃かは不明だが高崎南部は「地長表」に分類された。
編まれていた地域は高崎なのだが、竹皮は九州から取り寄せていたと
問屋の番頭さんから聞いたが、様々な文献からもそれが分かった。

・八幡表(地長表)
ヤハタオモテで、ハチマンオモテではない。
九州は福岡の八幡の表は八幡表と言い、これも後に「地長表」に分類される。
また、八幡南部、九州南部とも言う。
問屋では主に九州南部と呼ばれる。

・地長表の元祖と産地
地長表の元祖は、本南部地長表の名称通り、岩手県の南部地方だが、
二大産地は高崎南部の群馬県高崎と八幡表の九州八幡だ。

・最期の地長
最期の地長は平成元年頃のものとされています。(吉祥寺・甲州屋主人談)
日本で地長表用の竹皮を拾う人がいなくなったと言う意味です。

※この本南部地長表・地長表は、日本産の竹皮のランク以前に、
日本で竹皮自体拾う人がいないため作られていません。
つまり、日本産の竹皮で編まれた「表自体」、
デッドストック物を除き、現在存在しなく、また製造もされていません。

・地永表?
地長の長は「永」と書く人が問屋の番頭さんにいるが、
多数の履物関係者にお会いしても、この人だけだった。


●本南部表(ホンナンブオモテ)※現在消滅

本南部表の本は「本当、本物、本家」と言う意味で、本当に岩手南部地方で編まれた
優秀品の竹皮表の事を指す。
はきもの変遷史によると、本南部表の起こりは、

1.江戸時代奥州南部藩の家臣達が「江戸在勤中」下駄表の製造を内職としていた。

2.水戸在勤だった佐竹候が、南部の国代として在勤した時、家臣達に竹皮表の製造を奨励する一方、
 この表を「南部表」と銘し各大名連中に、国土産として贈って宣伝に努めた。

と、二つの説があり、

どちらにせよ、南部藩の者が作った表が優れていたのは間違いない。

と締めくくってある。

・南部表から本南部表への名称変化
この「本南部表」、そもそも当初は「南部表」の名称であり、冠に「本」が付いたのは、
明治中期頃から、東京都下八王子、群馬県高崎、九州博多方面から製造された優秀な表に、
それぞれの「地名を冠に付け南部表」の名称にしたので、
それらと、はっきり区別するため「本南部」と名称変化したと考える。

では、なぜ「南部表」と入れたのか?と言うと、
はきもの変遷史の記述を要約、意訳すると、

「江戸時代から存在する『南部表』は、明治維新以降、
素人でも『表と言えば南部表』と言うほど優秀品として超有名だった」

とある。

つまり、優秀品の代名詞である南部表の御威光にあやかろうと、その名を借りたのだ。

それ以降から、履物業界は竹皮表のみならず、棕櫚表にまで末尾に「南部表」を付けだす。
「棕櫚南部表」がそれだ。
原料の棕櫚葉は竹皮より安価で質も落ち、畳表類(竹皮表含む)では一番下の格付けだが、
数ある棕櫚表に限って言えば、優秀な作りだったのだろう。
これが因習というか、慣習になっていく。

・現在の履物業界の名称における慣習
現在、その慣習は小売店に見られる。

それは、近年の日本産竹皮表の全滅後から、ついに、

「支那表」を「南部表」と呼称して売っている事だ。
昔の様に「支那南部表」ならまだしも、「南部表」とは・・・。

・・・これにはいささか疑問を禁じ得ないが、苦肉の策とでも言うべきか・・・。


●支那表は支那竹皮

右の白いのが、中国産の竹皮を原料に日本で編んだ表の雪駄です。
この竹皮を支那竹皮と言い、表になると「支那表」と呼ぶ。
※支那(シナ)=中国

現在、日本の竹皮は拾う人がおらず、輸入された中国産の竹皮を使った表しか存在しない。
※市場に流通させると言うよりも、商店の商品の一つとして国産竹皮を拾い草履などを作るお店ある。
編んで表にするのはK表以外、日本国内であり、こう言った事情から
支那表が竹皮表類の中で一番上等とされるため、上述したように
小売店では「支那表を南部表」と呼び売っている。

・支那表の起源
支那表の起源は、参考文献:はきもの変遷史によると、
大正年代まで遡り、清国(今の中国)から竹皮を輸入したことに始まり、
低価格で色が白く体裁が良いので、日本国内で編まれ、表になると
「支那表、大正南部表」と言った名称で広まり、本南部表にとってかわり
市場の流行を独占した。と、ある。

・支那竹皮の質
支那竹皮は柔らかく、一本一本の繊維が太い。
繊維が太いと言う事は、緻密ではなく脆いと言う事。

・支那表の色
大量に輸入されるため、良いものも悪いものも一緒くたなので、
まず最初に全て漂白される。
漂白は中国でされる事もあるし、日本国内でされる時もある。
現在でも、白っぽい支那表があるのはそのためだ。

はきもの変遷史では、支那表の色について「白い」としか言及しておらず、
黄色いとは一切書いてないので、
当時から漂白はしたが、染める事は無いか、まれであったと考えられる。

現在、支那表は「黄平」と言う別称がある事と、その流通数において、
漂白後は、ほとんどが黄色っぽく染められ、そのことから支那表を「支那染=シナゾメ」とも言う。
支那染の呼称は、支那表の後にできた呼称だと分かる。

また、茶色く染めて「カラス表」になったりもする。

現在の支那表は、上記の漂白~染めを経た結果、
支那竹皮本来の質もあるが、艶、粘りが弱くなり、割れたり剥がれやすく耐久性が低い。
カラス表においては染料が違う為、それが顕著である。

2020.3.28追加
特にカラス表などは、表に編んだ後でどぶ漬で黒く染めるか、選別からハネた竹皮から染色する。
どぶ漬にされるのは表の状態で返品されてしまったもので、編み込みを少しめくると白い。
昔の染色カラス表や銀ねず表は小便をかけると色が抜けるみたいだ。これはアンモニアに反応しての事。
2020.3.28追加

ちなみに、日本産の竹皮表は同経過でも、艶、粘りを維持しているのが殆どで、
筆者の雪踏師としての経験上、手縫いの技術を完全に体得してからは、
デッドストック物の日本産の竹皮表の全てが、針を通しても点の痕しか残らなかった。

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